紀伊半島のALS
紀伊半島にALS患者が多いことは、明治時代の文献にも記載があります。また、古くは、1600年代に書かれた書物 (本朝故事因縁集)にも、ALSを示唆する疾患の存在が記されています。このように、紀伊半島南部にALSが多発していることは、かなり以前から知られていました。しかし、科学的な手法によって調査が行われるようになったのは1960年代からです。当時の和歌山県立医大の神経研究グループによって疫学調査が行われ、紀伊半島のALS多発が確認されました。この頃の一連の研究成果から、紀伊半島南部 (三重県志摩半島から和歌山県中部日高郡を結んだラインより南の海岸沿い)で、ALSが多発していること、なかでも発生頻度が全国平均の10~100倍という極めて高い集積地があることがわかりました。(図2)
こういった紀伊ALS研究が進展した背景には、グアム島でALS多発が発見されていたということがありました。グアム島で1950年代から行われた米国の医師たちによる大規模な疫学調査によって、ALSが米国本土の約100倍の頻度で発症していることがわかりました。こうした新たな発見の影響で、同じくALSの多発地区として知られていた紀伊半島が、世界的に注目されるようになったのです。
その後、1990年代からは、我々三重大学神経内科の研究グループが三重県内のALS多発地を対象に疫学、臨床および病理研究を行ってきました。それによって明らかになったことは、紀伊半島の一部の地域では、依然としてALSの発症が高率にみとめられることと、グアム島にみられる神経疾患であるパーキンソン認知症複合(PDC)に非常によく似た病気が紀伊半島にも実在するということでした。グアム島では、1970年代以降、ALS、PDC ともに患者数は激減し、現在では多発地域は消滅したとされています。一方、紀伊半島では、多発地の消滅が言われた時期もありましたが、我々の調査によって現在も多発地域が存在することがわかっています。我々の1997年時点での調査では、三重県南部の多発地区におけるALSとPDC併せての粗有病率は10万人あたり881で、これは、1960年代の調査時のものとほとんど変わりありません(1960年代には、PDC の存在が明らかでありませんでしたので、純粋には比較できませんが)(図3)。
どういうわけか、グアム島では激減したALS/PDCが、紀伊半島では、1985年以降も依然として高率に発症しているのです。